この記事では、映画「blank13」について、映画公式ツイッター等からの情報を紹介した上で、私の感想を記載しています。新たに本映画を鑑賞する人が増えてほしいというのが本記事の目的であり、ネタバレは記載しておりません。
あらすじ
コウジは、たまにキャッチボールしてくれる父を慕う野球少年だった。
しかし、その父には多額の借金があり、家には借金取りが押しかける日々が続く。
そしてある日、「ちょっとタバコ買いに行ってくるよ」そう言い残して父は失踪した。
残された母ヨウコと兄ヨシユキとコウジ。
3人は必死に働き、父の400万円の借金の返済に追われる苦しい生活を続けることとなる。
そして父の失踪から13年後、コウジは父が胃がんで余命3ヶ月であることを知る。
兄ヨシユキと母ヨウコが父との再会を拒む中、コウジは懐かしいキャッチボールの記憶を振り返り、父のもとを訪れる。
しかし、ぎこちない会話を交わすのみで、親子の隔たりを埋めることはできなかった。
やがて、父が亡くなり葬儀が行われる。
ここで初めて、コウジたちは参列者からこの13年間の父の生き様を聞かされることとなる。
予告編
ネタバレなし感想
こんな葬儀の方が温かいよね
本映画ですが、作品時間の半分以上が葬儀の描写に割かれています。
参列者が少人数ということで、お坊さんが提案されたのが参列者それぞれの故人とのつながりを話す時間。
ここで個性強めの皆さんから父との思い出を聞くことで、息子のコウジ達は空白だった13年間の父の生き様を知ることとなります。
ここの描写はコメディーパートではあるのですが、私はこんな葬儀の方が温かくていいなと思いました。
葬儀って、まずは家族のため、次に仲間のためのお別れの場であるべきなんですよ。
宗教的な意義は別として、本来行う意味ってのは。
そんなの当たり前だろと思われるかもしれませんが、葬儀って実際にはそんなにシンプルにできない場合の方が多いんじゃないでしょうか。
私の父の葬儀もそうでした。
仕事大好きだった私の父は、定年退職後は会社と顧問契約を結んでほぼ現役時代と同じペースで働いていました。
そんな中で、定期検診で見つからなかった癌が急遽悪化、余命一年の宣告後、実際には3ヶ月で亡くなってしまいました。
勤務を続けていたので現役と同じ扱いにしますと会社側から連絡があり、葬儀には社員の皆さん、取引先等の関係者の皆さんが大勢出席されることに。
ありがたいことではあるんです。
今でも感謝はしているんですよ。
社員の方々に会社関連の参列者の方の対応は全てやっていただきましたし。
父に対して多大な弔意を示していただいたということでもありますし。
でも、その一方で、誰のための葬儀だろうって思ってしまうこともあるんです。
出席者が増えるほど、喪主の私はとにかくやることに追われました。
あいさつ回り、打ち合わせ、各種手配。
葬儀後にはお礼参り。
正直、通夜から葬式が終わるまで、父を悼むなんて時間はほとんどありませんでした。
骨にした父を実家に持ち帰ったその晩です、ようやく父と向き合って悼む時間ができたと感じたのは。
だから、私はこの映画みたいに、参列者それぞれが故人と向き合える時間を持てた、そんな葬儀の方が温かみがあるなって思ってしまうんです。
語られなかった背景を想像する、どうか家族が分かり合えたように
この映画は作品時間が70分と少し短めになっています。
そして、コウジも、兄のヨシユキも、母のヨウコも、父の失踪について語ることはありません。
実際にどんな出来事があって借金ができたのか、少なくとも母とはある程度の話をした上で姿を消したのか、詳細が語られることはありません。
父も自分の口から空白の13年間の出来事を語ることはなく、参列者たちからの話以外にその間を知ることはできません。
だからこそ、この映画には鑑賞した人それぞれが、想像する余地を残しているように私は感じました。
私の想像はこんな感じです。
- 失踪の原因となった借金は、父がギャンブルで負ったのかもしれないし、参列者の一人が話したように、自分も金がない癖に困っている人に貸してしまうという状況があったのかもしれない。
- 失踪中、コウジたち兄弟とは関わらなかったようだが、母とは全くの疎遠では無かったのでは?もし全くの絶縁状態であれば、父は自分の家族は見捨てたくせに、他人にはやさしかった人になる。
- 役に立てたかは不明だが、失踪中も家族に対してなんらかの支援は行おうとはしていたのではないか?
いい方向に解釈しすぎですかね?
でも私はこう思ったんです。
皆さんはどんな想像をされるでしょうか?
それぞれの物語を想像してみてください。